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大阪高等裁判所 昭和40年(う)1717号 判決

被告人 内藤保 外四名

主文

原判決中被告人内藤保、同河井逸夫、同出口清次に関する部分を破棄する。

被告人内藤保、同河井逸夫を各懲役二月に、同出口清次を懲役三月に処する。

右被告人三名に対して、本裁判確定の日からそれぞれ一年間右各刑の執行を猶予する。

被告人沖本彰、同市森敦男の本件各控訴を棄却する。

訴訟費用中、原審における証人松田直夫、同波多野元三郎、同丹後準一郎、同田村敏雄に支給した分及び当審における証人松田直夫、同河野保、同波多野元三郎に支給した分は被告人内藤保、同河井逸夫、同出口清次の連帯負担とし、原審証人矢寺武、同鈴木桂太郎に支給した分は被告人出口清次ならびに相被告人市森敦男の連帯負担とし、当審における証人滝本謙二に支給した分は被告人内藤保、同河井逸夫、同出口清次、同市森敦男の等分負担とし、当審における証人足立三郎に支給した分は被告人沖本彰の負担とする。

本件公訴事実中被告人内藤保、同河井逸夫、同出口清次に対する住居侵入の点につき被告人らは無罪。

理由

本件各控訴の趣意は、記録に編綴の被告人内藤保、同河井逸夫、同出口清次に対する大阪地方検察庁検察官検事斎藤周逸作成の控訴趣意書および被告人内藤保、同河井逸夫、同出口清次、同沖本彰、同市森敦男の弁護人深田和之、同小牧英夫、同阿形旨通連名作成の控訴趣意書(一)(二)(三)(四)に、それぞれ記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。

検察官の控訴趣意第一、第二について

論旨は、原判決は、本件公訴事実中、被告人内藤、同河井、同出口の三名に対する建造物侵入、強要の訴因につき、被告人らの各行為は、いずれも正当な組合活動の範囲に属していたもので労働組合法第一条第二項、刑法第三五条により違法性を阻却するとして無罪の言渡しをしたのであるが、証拠の取捨選択ないし価値判断を誤つた結果、事実を誤認し、ひいては法律の解釈適用を誤つたものであつて、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、とうてい破棄を免れないと主張するのである。

そこでまず、被告人らの建造物侵入の点について検討するに、原審で取り調べたすべての証拠に、当審における事実取調べの結果を総合すると、大阪電気精器株式会社(現在は松下精工株式会社以下単に会社と略称する)では、同社労働組合(以下単に組合と略称する。)との間に、昭和三四年九月四日ころから労働争議にはいり、被告人内藤は組合の執行委員、被告人河井、同出口は組合員として右労働争議に参加したものであるが、組合は会社との間に数次にわたり団体交渉をかさねたけれども満足する回答が得られないため、同年一〇月八日に至つて、会社に対して職場毎に随時決起大会や社内示威行進を行う旨通告し、同月一四日完成工場所属の組合員約八〇名が午後三時四五分ころから同四時二五分ごろまで約四〇分にわたつて就業時間内社内示威行進を行つたのをはじめとして、各工場、職場を単位とする就業時間内社内示威行進および就業時間内職場集会が活発に行われたので、会社側は、これに対し同月一五日になつて、同月一四日以降の就業時間内示威行進などについては賃金カツトをする旨組合に通告したのであるが、会社側は主として工場単位毎に一律にカツト該当者および職場離脱時間を認定したところから、組合側は、社内示威行進に参加していない者がカツト該当者中に含まれていること、および職場離脱時間の認定が不正確であることを指摘して、右賃金カツトの基礎となる資料提供責任者である工場長らに対して、右賃金カツトが不正確である旨抗議するとともに、その撤回を要求する抗議活動が激しくなり、同月二〇日午後三時二〇分ころから右会社事務所東側通路で、被告人らを含む組合員約八〇名が、会社の製造部次長広畠一夫、機械工場長長野光治、鉄芯工場長三谷洋海、完成工場長代理今中安夫の四名をとりかこみ、喚声をあげながら前記賃金カツトの撤回を要求して、いわゆる洗濯デモをかけて集団抗議をしていたこと、たまたま、その時、会社では親会社である松下電器産業株式会社扇風機事業部次長室として右松下電器に貸与していた事務所二階東北隅の一室において、松下電器側の同事業部総務課長松田直夫、同経理係波多野元三郎、会社側の経理課長河野保、同係員西中某が出席して、右松下電器産業株式会社本社予算係長丹後準一郎からバゼツト(予算統制)に関する説明をうけているうち、同日午後四時前ころ、前記組合側の集団抗議の状況を右松田課長ほか四名が右次長室から目撃し、松田課長において会社側の写真機を使用して右集団抗議の状況を数枚撮影したところ、これを組合員が発見し、被告人らが本件次長室へ立ち入つたことが認め得られる。そこで、被告人らが次長室へ侵入した当時の状況ならびにその侵入の態様について見ると、原審証人田村敏雄(会社守衛)は「二階から写真をとつたぞといつたのは誰であつたかはつきり確認できなかつたが、四、五人の人間が同時に叫んだように思う。そして組合の人たちが非常に激昂して興奮した三十数名が両側の出入口から中へ飛び込んで行つたので、私はこれはいけないと思つてこれを阻止しようと思い同時に飛び込んだ。そして先頭に出て阻止しようとしたが、階段が狭いため人に押されて先頭に出ることができず、人の間をくぐつて皆がはいつて行つた中川次長の部屋へはいつた。」旨供述し(記録四四三丁以下)、原審ならびに当審における証人河野保は「階段を上つてくる組合員の足音がした際、私は締つている次長室の内開き扉を背中で押して外からはいれないようにしたが、四、五人の力でぐつと押し開かれ、私は、応接机とイスのあるあたりに押しこまれ、十四、五人が一気にはいつて来た。」旨供述し(記録三八四丁)、原審ならびに当審における証人松田直夫、同波多野元三郎および原審における証人丹後準一郎の各証言を総合すると、「松田直夫が写真を撮影したのを組合員が見つけ、写真をとつとるぞ、たたき出したれ、という声がしたので、同人らは窓から引つこんだが、階段を上つて来る足音がしたので、松田は写真機を隠す場所を捜したが、適当な場所が見つからないので、写真機を次長の机の下に置きイスにすわつたままで足で踏んで隠し河野が背中で入口のドアを押えていたが、組合員約一五名が、被告人河井、同出口、同内藤及び蔀巌および横井某らを先頭に次長室の扉を押し開けていつせいに室内になだれ込み、殺気だつた語調で『写真を撮つたのは誰か』『カメラを出せ』『どこへ隠した』などと怒鳴つた」ことが認められるのであつて、以上に徴すると被告人らの本件次長室への侵入に際し、会社経理課長河野が入口扉を内側から背中で押え入室拒否の態度をとつたことを認定できるのであるが、被告人らの侵入目的についてみると、被告人内藤の検察官に対する供述調書中同人は「組合員のうちで『カメラとりよつた』と叫んだ者があつたので、私が二階の方をみたところ、扇風機事業部の窓際に松田課長がカメラを構えたまま立つていて体をひつ込めるところであつた。それで私は、松田課長が組合員の工場長らに対する集団抗議の状況を写真撮影したと思つた。(中略)その時は写真をとられたから取り返そうと思う幼稚な考えであつた。」旨供述し(記録一一六七丁以下)、更に原審第二五回公判廷において「とにかく、フイルムをもらいに行く目的であつたので、松田課長に対して、とにかく撮つたフイルムをくれ、フイルムに写つているもののうちでほかの要るものについては焼きつけをしてからお渡しするし、われわれのデモの状況を撮つたフイルムだけをわれわれにもらえばいいんだからフイルムを貨してくれということで、フイルムをもらいに行く目的で行つたわけである。」旨供述しており(記録一一〇五丁)、被告人河井の検察官に対する供述調書中、同人は「私がデモをしている間に、何かのひようしで扇風機事業部次長室の東側の窓をみた際、窓際にカメラを持つて立つている者があつた。私は、デモの状況を写真にとつたと直感し、同時に写真にとられてはまずいと思つた。それは、デモに参加している組合員の家庭にデモに参加させないよう手紙を出すようなことがあつたら困ると思つたからである。私は『写真をとつている者がある』というようなことをいつたかどうか現在では記憶しないが、フイルムを取り上げるつもりで、まつすぐ事務所の東北の入口から事務所へはいり、二階に上る階段をかけ上つた。」旨供述し(記録一一九九丁以下)、同被告人は原審第二五回公判廷において「私は、近くの者が写真をとつてると言うので上を見ると、ちようどシヤツターを切つたように見えたので、これはいかん、と思い、私が組合員の一番目又は二番目になつたりして上つて行つて次長室にはいつた。(中略)私は、松田課長からフイルムをもらおうと思つたのであるが、撮つてないというから、その事実を確かめるためにもらいたいし、何かの資料になるやろうとは私自身思つていた」旨供述し(記録一一四九丁以下)、被告人出口は、原審第二五回公判廷において「その部屋にはいつた動機は、松田が写真を撮つたので、私自身はフイルムの提出を求めるために上つて行つたわけである。ところが上つて行くと、本人あるいはそこにおつた人たちがすべて写真は撮つてない。フイルムはないという一言の下に、われわれの要求を無視する態度に出たわけである。」旨供述し(記録一一三〇丁)ているのであつて、これらの供述によれば、被告人らは、松田課長に対してフイルムの交付を交渉する目的をもつて次長室へ立ち入つたものと認められるが、そもそも住居侵入罪が成立するには、住居の管理権者の意思に反するか又は意思に反することが行為の目的、性質から当然に予想しうるばあいであり、かつ、行為者においてそれを認識していることを要すると解すべきである。本件においては河野保一人が入口の扉に背をもたせて入室を阻止しようとしたが、被告人河井を先頭とする組合員数名がむぞうさに押し開いて室内にはいつたものであり、その間、右の室の管理権者である松下電器産業扇風機事業部次長は不在のため、その職務を代行する同部総務課長松田直夫は、組合員らの入室を予期して写真機を机の下に置いて足で隠し、被告人らと問答しているのであつて、その後憤激した被告人らにおいて松田課長を強要してフイルムを交付させており、また立入る際の状況において妥当を欠く行動があつたとしても、被告人らが右の次長室へ立ち入る際には、自分らの入室が管理権者の意思に反し、したがつて入室を拒否されていることを認識していたものとは認められず、かつ被告人らは当初から暴行脅迫等違法の目的を持つていたものではないから、管理権者の意思に反することが当然に予想しうるばあいにも当らない。そうすると、被告人らの本件次長室侵入行為は、建造物侵入罪を構成しないものといわなければならない。したがつて、原判決が本件建造物侵入の犯意を認定し、形式的には建造物侵入罪の構成要件に該当すると判断したうえで、被告人らの次長室への立ち入つた時点における主たる目的は「右撮影に対し抗議をなし、その目的や用途をただすことにあつた」と認定し、被告人らの立入り行為は正当な組合活動に属し労働組合法第一条第二項、刑法第三五条により違法性は阻却されるから本件建造物侵入罪は構成しないとしたのは、賛成しがたいこと所論のとおりであるが、結局、罪とならないとした点においては同一に帰着するので、住居侵入の点に関する論旨は理由がない。

次に被告人らの強要の点について判断するに、原審ならびに当審における証人松田原夫、同波多野元三郎、同河野保および原審における証人田村敏雄の各証言ならびに被告人らの検察官に対する各供述調書を総合すれば、本件次長室に侵入後の被告人らの言動は次のとおり認定することができる。すなわち、被告人らは、松田直夫が二階の次長室の窓から組合員のデモ状況を写真に撮影したことを発見するや、右次長室の扉を押しあけてはいり殺気だつた語調で、口口に『写真を撮つたのは誰か』『カメラを出せ』『どこへ隠した』などと怒鳴り、被告人出口は丹後準一郎の側につめよつて『立て』といつて同人をイスから立ち上らせたうえ、『お前はどこのものか』『お前が写真を撮つたんだろう』といつて、同人を肘で押して東側の窓ぎわまで行つたので、丹後は顔面蒼白となつて『写真を撮つたのは自分じやない』といつたこと。それをみた松田課長が『写真を撮つたのは僕だ』といつたが、その間河野保は初めは『お客さんの部屋だから静かにせよ』とくりかえし言い、一番主だつた人と思う内藤にも『ここはお客さんの部屋だから話があるならあとで会社と話をしてほしい、とにかくここは静めてほしい』と言い、ついで組合員に対して出て行つてほしい、と何回も言つたが、聞き入れられず、被告人ら三名を含む組合員は大声で口口に松田課長に対し『写真機を出せ』『どこへ隠した』『何をしやがる』『やつつけろ』『承知せんぞ』『どない思うとるんだ』などと口汚く怒鳴つたこと、被告人出口は、更に机の上にあつた算盤をふり上げ、机に上半身を乗り出して松田課長に対し『なんで写真をとつたんや』『労働者を売る気か』『殴つたろうか』と怒鳴つて、同課長に殴りかかろうとしたが、他の組合員から『殴るのはやめとけ』といかれたので殴るのはやめたが、なおも机をたたいて『写真機を出せ』と他の組合員とともに要求したこと、松田課長は腕組をしたまま、イスに腰かけ顔面蒼白となり『写真機はもう外へもつて行きよつた』と弁解していたが、被告人出口が算盤をふり上げた際背中をそらせたので机の下で写真機を押えていた右足がはずれ、被告人河井が写真機を発見じ、被告人内藤がその写真機を拾い上げて机の上においたこと、その際被告人出口がその写真機を取り上げて外へ放ろうとしたが、他の組合員から制止されたので写真機を二、三回机にたたきつけて置き、写真機内からフイルムを取り出そうとしたが、被告人内藤が『お前ら触るな、本人からフイルムをだしてもらえ』と注意したので、被告人出口は写真機から手をはなし、そこで、被告人ら三名は、他の組合員と共同し、すでに畏怖している松田を更に脅迫して同人から右撮影ずみのフイルムを交付させようと企て、口口に大声で『フイルムを出せ』『早く出せ』『殴るぞ』と怒鳴り、その際被告人河井は『フイルムを早く出せ、一分以内に出せ、出さなければあんたの身体はよう保障せんぞ』といい、被告人出口は、『十数えるうちにだせ』と要求して他の組合員とともに『一つ、二つ、三つ』と数を数えはじめたので、松田課長は顔面蒼白の状態で『代表の者と話したいから一般の者は外に出てもらいたい』といつたこと、そこで被告人内藤において一般組合員を退室させたが、部屋に残つた組合員幹部において、さらに松田課長に対し『フイルムをだせ』と執ように要求したので、右河野が『ここはお客さんの部屋だから、話はあとでつけよう、とにかくこの場はでて行ってほしい。』と申し入れたところ、逆に組合員は河野を外にひつぱり出し、そして松田課長はフイルムを巻き返したうえで、写真機の裏蓋をあけてフイルムをとりだし机の上においたところを、被告人河井がとりあげ、さらに松田課長の眼鏡をはずして、被告人ら三名を含む組合員において原判示第一記載のとおり松田課長に対して共同暴行を加えた事実を認めることができる。松田直夫は、この点につき、原審において、「私がかりに拒んだとすると、誰かれなしにたたかれるか、半殺しの目にあつていたのではないかと思う。私も両親や子供がいるので、さようなけがをさせられては困るし、また、新聞種になつては会社に対して世間体もよくないと感じたので、やむを得ずフイルムを出したところ、横から河井がひつたくつて取つた」旨(二二四丁)供述している。以上の事実に徴すると、被告人らの一連の言動は、それ自体松田課長に対する害悪の告知であり同課長を畏怖せしめるに足りるものであつて、同課長においてフイルムを出さなければその生命身体に危険を生じさせるような暴力沙汰が起つたかも知れない険悪な状態であつたものというの外はなく、被告人らのこれらの言動は正に刑法所定の脅迫に該当するものと断じなければならない。原判決が右事実をもつて未だ松田課長の生命身体に危険を生じさせるような暴力沙汰が起りそうな気配を感じさせるほど緊迫した空気があつたと認め難く、脅迫にあたらないと認定したことは、証拠の取捨選択ないし価値判断を誤り事実を誤認したものといわなければならない。そして、労働組合法第一条第二項は、勤労者の団体交渉における行為について無条件に刑法第三五条の適用があることを規定したものではなく、右の行為が刑法所定の暴行罪又は脅迫罪等の犯罪にあたるばあいにおいてもこれを正当化するものと解釈されてはならない(最高裁判所大法廷昭和二四年五月一八日判決・集三巻・六号七七五頁、同第一小昭和三二半四月二五日判決、集一一巻四号一四三一頁)ことは多言を要しないところである。原判決は、組合員のデモの状況を写真に撮影することは、組合活動に介入し又は不当労働行為の手段として利用する意思のもとになされた疑が濃厚であるから、撮影者が親会社の社員であつても、組合員が同人に対して撮影ずみフイルムの交付を求めることは、正当な組合活動の範囲に属する行為であると判示しているけれども、元来、労働組合員が使用者側に対し公然と集団示威行為を行うに当り、使用者側がその現場の状況を写真に撮影することは、別に法律の禁止するところでもなく、また、不当労働行為や肖像権侵害にも当らない放任行為である。本件の撮影者松田直夫は、撮影の目的について、当時松下電器産業は会社組合員が争議にはいり、それが、松下電器の争議とは比べものにならない異常な争議行為であつて、扇風機及び換気扇の入荷が遅れるのみならず、ピケのため会社からの出荷が妨げられたりして、各販売会社や代理店からきびしい督促を受けていたので、争議のため受注者への出荷が遅れている事情を諒解してもらう必要上右の写真撮影をした旨原審並びに当審において供述しているが、同人は、被告人らに対して右の撮影目的につき説明をしなかつたことは原判示のとおりである。しかし、そうだからといつて、松田に対して撮影フイルムの交付を要求する権利権能がなく、従つて、松田においてそれを交付しなければならない義務がないことは明らかである。被告人らは、前記のように松田を脅迫して義務のないことを行わせたのであるから、被告人らの行為は正に刑法第二二三条第一項所定の強要罪に該当するのであつて、原判決が被告人らの行為をもつて、その目的と手段方法とにおいて組合の正当行為の範囲に属するものとして労働組合法第一条第二項、刑法第三五条により違法性が阻却され強要罪は成立しないと判断したのは、法令の解釈適用を誤つたものといわなければならないから、原判決はこの点において破棄を免れない。論旨は理由がある。

弁護人深田和之、同小牧英夫、同阿形旨通連名作成の控訴趣意書(一)記載の第一の控訴趣意について

論旨は、原判示第一の事実につき、事実の誤認を主張するのである。しかし原判決挙示の対応証拠によれば、被告人内藤保、同河井逸夫、同出口清次は、その場所にいた組合員約二名と意思を通じ被告人河井において「胴あげしたれ」と号令して、折たたみ式パイプイスにすわつていた松下電器産業株式会社扇風機事業部総務課長松田直夫をイスのまま抱えあげ「わつしよい、わつしよい」と掛声をかけて二、三回上下にゆすりながら約一、五メートルほど移動して下に落して数人共同して同人に暴行を加えた事実を認めることができる。所論は、被告人出口には右行為には全然関与してないのみならず、被告人らが右松田課長を「下に落した」ものでなくて同人が自ら逃れるために立ち上つたにすぎないというのであるけれども、右証拠、特に原審における証人松田直夫の供述によれば、「被告人河井は、私の眼鏡をはずして事業部長の机の上に置いた。そして河井、内藤、出口の三人とそのほか二、三人の組合の人が寄つて来て、私のすわつている折たたみイスのまま胴上げされた。河井が眼鏡をとつてから『胴上げしたれ』というかけ声をかけた。それと同時に、折たたみイスにすわつたままの私をイスとともに持ち上げた。河井は私のもたれておるイスの左側のところと、脚のところを持つた。内藤は私の右下方の脚を両手で握つていた。出口は、私の横うしろのイスのもたれのあるところを持つていた。そしてわつしよわつしよとかけ声をかけて胴上げして一メートルくらいだつたと思うがそれくらいの高さまで持ち上げた。そして優勝旗の前あたりで前に放り出された。それまでに五、六回胴上げして持ち上げられて前に放り出されたわけである。私は落下を防ぐために内藤の肩の方に手をやつたとき、内藤の肩から胸に手がいつて、胸の名札が手に残るのと同時に足が下についたのである。私は、眼鏡がほしかつたが、ここにいては危いと思つてすぐ階下の事務所へ行つた。」旨供述し(記録二二五丁以下)ているのであつて、右供述は、自然になされ、筋道が立つており、関係証拠ともよく符号するから、十分信用することができるのであるが、以上に徴すると、本件松田課長に対する共同暴行に際して、被告人出口は、被告人内藤、同河井らとともに、自らも同課長がすわつているイスのもたれを持つて、イスともに胴上げし、二、三回上下にゆすりながら移動して下に落した行為に加担しているのみならず、前記被告人らが共同して同課長を胴上げして放り出し下に落したものであつて、同課長が自ら難を免れるために立ち上つたものでないことが明らかである。そうすると、被告人らの行為は、共同して松田直夫の身体に対し不法に有形力を行使したものといわなければならない。その他記録を精査しても、原判決には所論のような事実の誤認はない。論旨は理由がないい。

弁護人深田和之、同小牧英夫、同阿形旨通連名作成の控訴趣意書(一)記載の第二の控訴趣意について

論旨は、要するに、原判示第一の事実について、被告人らの胴上げの行為は、松田課長がひそかに写真撮影をした不当労働行為に対する抗議であつて、激昂のあまり直接的行動に訴えたい衝動にかられたもので無理からぬものであるから、刑事法的に違法性がないにもかかわらず、違法性を認定した原判決には、法令の解釈適用を誤つた違法があると主張するのである。

よつて案ずるに、労働組合法第一条第二項の規定は、前叙のとおり、勤労者の団体交渉などにおいて刑法所定の暴行罪または脅迫罪にあたる行為がなされた場合にまでその適用があることを定めたものでないのみならず、使用者側に対して公然と自らの勢力を誇示する組合員の集団的示威又は抗議の状況を使用者側に属する者が写真撮影したからといつて、右撮影行為をもつて、直ちに組合活動に対する不当介入であるとして違法とはいうことはできないものである。これを本件について見るに、前掲認定のとおり、被告人らを含む組合員約八〇名が会社事務所東側通路で、製造部次長広畠一夫ほか三名をとりかこみ喚声をあげながら賃金カツトの撤回を要求して、いわゆる洗濯デモをかけて集団抗議をしている状況を松田課長において事務所二階から写真撮影したものであつてこれを不当労働行為であると断ずることはできないし、右写真撮影に抗議した被告人ら組合員は、松田課長をイスのままかかえあげ、「わつしよい、わつしよい」と掛声をかけて二、三回上下にゆすりながら、約一、五メートルほど移動して下に落して数人共同して同人に暴行を加えたのであるから、被告人らの右行為をもつて違法性を阻却すべき正当行為であるとはとうてい認め難いところである。以上の次第で、原判決には、なんら法令の解釈適用を誤つた違法はないから、論旨は理由がない。

弁護人阿形旨通、同小牧英夫、同深田和之連名作成の控訴趣意書(二)記載の控訴趣意について

論旨は、原判示第二の事実につき事実の誤認をいい、被告人市森敦男は現場にいなかつたものであり、証人矢寺武および証人鈴木桂太郎の各供述は信用性がないと主張するのである。

しかし、原判決挙示の証拠によれば、被告人出口、同市森は、組合員約四〇名とともに一〇月二一日午前一〇時すぎころから会社資材倉庫三階会議室で、換気扇工場長代理矢寺武らに対し、同人らのした賃金カツトのための不就労時間の認定は不正確であるから撤回するよう抗議するとともに、右賃金カツトについて団体交渉の申入れをしたのであるが、右矢寺から組合側の右要求を拒否されたことに憤慨し、同日午後零時すぎころ、組合員角南節博、同松田清治ほか十数名と意思を通じて、再び前記会議室に行き、被告人出口において「矢寺のおつさん、いつちよもんだろか」と申し向け、他の組合員とともに同人を資材倉庫北側の通路に連れだし、同所で被告人市森およびほかの組合員において同人をとりかこみ「わつしよい、わつしよい」と掛声をかけながら約一五分間にわたつて同人の周囲を回転し、その間、被告人出口はその場で笛を吹いて右デモを指揮し、共同して、手拳で突き、体当りし、蹴るなどの暴行を加え、よつて同人に対し全治約五日間を要する背部、右前腕部打撲擦過創の傷害を負わせた事実を認めることができる。所論は、被告人市森は本件現場にはいなかつたものであるというのであるけれども、原審証人矢寺武は、原審第一三回公判廷において、「昭和三四年一〇月二一日大阪電気精器の労働組合と賃金カツトの問題でもめて暴行を受けたことがある。洗濯デモをかけられて体当りをくわされたり、また足蹴にされたり、拳固をくわされたりして背中と右肘に負傷した。私は、三階の会議室にいると、下から二〇人くらいの組合員が出口の笛を合図にわつしよい、わつしよいと言いながら上つて来て、いつちようもんだろか、下へ降りろと言つて私を取り巻き下に降ろされた。私は、人の居ない所では何をされるかわからんと思い、資材倉庫の中央通路を小走りに行つたが、角南と松田とに引きもどされ、資材倉庫の北側の出口から、研究工場と完成工場の間の道に出ると同時に、組合員からぐるりと完全に取り巻かれ、いわゆる洗濯デモをかけられたのであるが、デモをかけながら研究工場の壁の辺まで連れて行かれ、身体をコンクリートの壁に押えつけられたようなかつこうにせられたうえ、角南と松田が体当りをしてきた。そのやり方は、右肘を胸まで上げ、からだを斜めにし、前から突進して来て当り、同時に右の足のひざで私の下腹部を蹴り上げた。松田清治、角南節博が三、四回づつ、市森敦男は、回数は少ないが同じことをやつた。市森、松田、角南がわざと体当りして来たことは間違ない。それから再びぐるりを取り囲されて洗濯デモをかけられながら研究工場の西側の部品工場との間の通路に連れて行かれ、後からげんこつでこずかれたり、足をかけられたり、もみくちやにされ最後には足で蹴倒され通路に倒れた。私は腹が立つたので『やるだけやれ』とどなると、両脇を持つて起され、また洗濯デモをかけながら資材倉庫の横まで連れて行かれた。出口は、その間、たえず笛を吹いて指揮をとり、他の者は『わつしよい、わつしよい』と言つていた」旨供述している(記録五〇八丁以下)のであつて、被告人市森も、本件現場にいて他の組合員とともに矢寺武に対する暴力に加担したことが明らかである。更に所論は、原審証人矢寺武および同鈴木桂太郎の各供述は信用性がないというのであるけれども、右各供述を詳細に検討して見ると、供述の内容において自然でかつ筋道が立つており、また、関係証拠ともよく符号し、所論指摘のように誇張歪曲されたと疑うべき点もないから、いずれも十分信用することができる。所論は結局証拠の取捨選択と価値判断に関する原審の措置を非難するに帰する。その他記録を精査しても原判決には所論のような事実の誤認はない。論旨は理由がない。

弁護人小牧英夫、同深田和之、同阿形旨通連名作成の控訴趣意書(三)記載の控訴趣意について

論旨は、原判示第四の事実につき、事実誤認を主張し、被告人沖本彰が、三谷洋海に対し、他の組合員数名とともにそれぞれ腕をくんで順次に体当りを加えた事実はない。証人三谷洋海の供述には信用性がないというのである。

しかし原判決挙示の対応証拠によれば、被告人沖本彰は、原判示の一〇月二三日午前一一時ごろ機械工場の従業員清水三郎が鉄芯工場にはいつて来て約五分間にわたり作業中の従業員浜崎善弘と立話しをしたので、同工場長三谷洋海が、同工場では就業時間内の話を禁じていると言つて退去を要求し、清水においてこれを拒否して口論となり、結局清水が退去させられたのであるが、その報告を聞いた組合員は三谷工場長に抗議しようと企て、被告人沖本は、同日午後零時三〇分ごろ、組合員約五〇名と共に機械工場前において、三谷工場長に対し洗濯デモをかけ退去要求について抗議したうえ、更に、同午後一時過ころ、他の組合員によつて鉄芯工場北側道路上に引つ張り出されて来た同工場長に対し、組合員十数名と意思を通じ、それぞれ腕をくんで順次に体当りを加えて数人共同して同人に暴行を加えた事実は優に認めることができる。所論は本件暴行に被告人沖本は関係がないというのであるけれども右証拠、特に原審証人三谷洋海は、原審第一五回、第一六回各公判廷において「一〇月二三日午前一一時ころ、前に鉄芯工場工員で当時機械工場にいる清水三郎が旋盤作業中の浜崎善弘の所へ来て立話を始め五分にもなるので、私は、そばへ行つて『何を話しているか』と尋ねると、清水は『仕事の話だから詳しいことを言う必要はない』と言うので、私は仕事の話なら所属長を通じて言うはずであり、職場を異にする者が個人的に仕事の話をするはずはないから、デモやストの打合せであろうと思い、清水に対し『作業中の立話は禁じられているので自分の所へ帰つてほしい』と言うと、清水は『命令される覚えはない』と言つて応じないので、私は『出て行け』と言い、口論となつたが、結局出て行つた。その日の午後零時三〇分ごろ、私は、工場内の機械工場事務室の前辺りで、組合員五、六〇名と出会つた。すると『鉄芯工場へはいつたらいかんのか、撤回しろ』というようなことを言われて洗濯デモにかけられた。組合員五、六〇名で腕を組んで、肩などで私をすり上げたり、小突いたりして体当りした。この洗濯デモに沖本彰も加つていた。沖本が後から私に抱きついたので次の体当りをくつた時倒れた。(中略)その間、沖本は『鉄芯工場へはいつたらいかんのか、そういうことを清水にいつたことを撤回しろ』といつていた。午後一時ごろ、鉄芯工場事務所へ出口清次、松田誠治ほか一名が来て、私が倒された時下敷になつて足をけがしたのをどうしてくれるか、と文句を言い、外へ出て話をつけようか、と言つて出て行くと、鉄芯工場組合員と換気扇工場の多木隆らがはいつて来て、私の右腕を引つ張り、後から押して同工場内事務室前で私を洗濯デモにかけたうえ、同工場表出入口から北側通路へ私を押し出し、一五、六名で私を取り囲み、非常にきつい体当りなどを食わせた。その時沖本は、身体を下げて腕を組んで私の左前方二メートルくらいのところから走つて来て強く体当りして来たので、そのため私は突き飛ばされて鉄芯工場の鉄の扉に衝突して背中の方をうつた。それから、私が体当りを受けてひつくり返えると、沖本が『わざと倒れたんだ』と言つて私を引き起し、また体当りの目標にした。そして、上衣は取られ、ネクタイははずされ、シヤツは引き裂かれ、ふらふらになり、ついに、清水に対して『すまん』と言つてあやまらされた。私の左胸部打撲傷はその時の負傷である」旨供述しているのであつて(記録七一一丁以下)、被告人沖本が本件暴行に加担していたことが明らかである。更に所論は、原審証人三谷洋海の供述は信用性がないというのであるけれども関係証拠に照し十分信用することができる。原判決が同証言を証拠にとつたのは、論理法則や経験法則に違反するものではない。所論は結局原審が適正になした証拠の取捨選択を論難するにすぎない。その他記録を精査しても原判決には所論指摘のような事実の誤認はない。論旨は理由がない。

弁護人小牧英夫、同深田和之、同阿形旨通連名作成の控訴趣意書(四)記載の控訴趣意について

論旨は、原判示第三の事実につき、事実誤認を主張し、被告人市森敦男は直接広畠次長もしくは今中工場長代理に対して暴力を加えた事実はない。証人広畠一夫、同今中安夫の各供述は相互に重大なくいちがいがあるから信用性がないというのである。

しかし、原判決挙示の対応証拠によれば、被告人市森敦男は、原判示のような経緯から、組合員約三〇名と意思を通じて製造部次長広畠一夫、完成工場長代理今中安夫を資材倉庫北側の通路に連れ出し、同所で被告人市森において、右今中に対し体当りを加え、胸部を手拳で突き、他の組合員において、右両名に対し体当りをし、手拳で突き、蹴るなどの暴行を加え、よつて右今中に対し加療約二週間を要する右胸部打撲傷を、右広畠に対し加療約一〇日間を要する左胸背部打撲傷をそれぞれ負わせた事実を優に認めることができる。所論は、被告人市森は、広畠、今中の両名に対して直接暴行を加えていないというのであるけれども、原審証人広畠一夫は、原審第一七回、第一八回各公判廷において「市森、出口が笛を吹いてそれが合図で連れ出された。私は腕を組んでいたが、外へ出いといつて押したり、引つ張つたり、ネクタイの下をもつて引つ張られ、階段を降りて行き倉庫の横から通路を出た。殴つたとか、いうことがしよつちゆうあり、私の前に矢寺工場長がそういう目にあわされているので、私は出たくなかつたが押し出された。今中も連れ出され、通路のまん中で洗濯デモをやられているところであつた。私が見たのは、横向きに押しつけ、肩でばんとぶつつかつていた。出口、横井、蔀の三人がやつているのは見た。今中はふらふらしていたが、こんどは私がすぐにやられた。初めコンクリートの壁に押しつけられて、一〇名くらいの者に押したり、引つ張つたり、足で蹴つたり、背中の方を殴るなどせられた。その時角南節博にげんこで腹を一〇発くらい強く殴られた。それから押したり引つ張つたりして中央へ連れて来られ、今中工場長代理とぶつつけ合いをさせられ、それから前から押されてひつくり返り、背中が溝にはまり、そのふちで背中を打ち、ものすごく痛んだ。背中の傷はその時のものと思う。今中がしやがんでいるところを被告人市森が拳固を振り上げて一回今中のこの辺(左胸の上附近を示す)を殴るのをはつきりと見た。それから押したり引いたりして本館二階の本部長室へ連れて行かれたが不在であつたので、また下へ降ろされ、そこへ矢寺と長野とが連れて来られ部長会議を開けと要求されたが、権限のないことを説明して終りとなつた。その夜すごく痛むので翌日桜宮病院で診察をうけたが、治療約一〇日を要する左胸背部打撲傷であつた」旨供述し(記録八〇八丁以下)、原審証人今中安夫は原審第一八回公判廷において「午後四時三〇分の終業になつてから市森ら約七〇名の組合員が完成工場の事務所に来て、出口が広畠次長を呼び、二人を押したり引つ張つたりして事務所外へ出し、資材倉庫と研究工場との間の通路で洗濯デモをかけた。市森敦男も私に暴行を加えたことは間違いない。最初の時は、うしろから当つたが、それから前に来て前を突いた。当つたというのは体当りのことでそれから手拳で前胸のところを軽く突いた。そのうちに広畠次長と衝突させられ、またもされているうちに、市森が私の右腕を手拳で突いた。相当強く殴られたので、痛くて胸を押えてしやがみこんだ。それをまた立たされてもまれた。その時の市森の顔や身体ははつきり見ている。治療約二週間を要する右胸部打撲傷は市森に殴られた傷に間違いない」皆供述し(記録八六〇丁)ているところからみると、被告人市森は、原判示のようにほかの組合員らと共同して広畠、今中の両名に対して暴行を加えたことは明らかであるから、所論は採用できない。更に所論は、広畠証言では、市森がしやがんでいる今中を殴つたことになつているのに、今中証言では、立つている今中の胸を手拳で突いたという点と、広畠証言では今中の持つていた賃金カツトの明細書を田中が取り上げて広畠の懐にさしこんだということになつているのに、今中証言では市森がそれをまるめて今中に投げつけたという点においてくい違つているので右の各証言はいずれも信用性がないというのであるけれども、右各証人の供述はその大綱において一致しており、信用性を害する程度のくいちがいがあるとは認められない。その他信用性を疑うに足りる合理的根拠はない。所論は、結局原審が適正にした証拠の取捨選択ないし証拠の価値判断を論難するに過ぎない。以上の次第で本件記録を精査しても、原判決には所論指摘のような事実の誤認はない。論旨は理由がない。

よつて被告人沖本彰、同市森敦男につき刑事訴訟法第三九六条により本件各控訴を棄却すべきものとし、被告人内藤保、同河井逸夫、同出口清次につき量刑不当の控訴趣意の判断を省略し同法第三九七条第一項、第三八〇条、第三八二条により同被告人らに関する部分を破棄し同法第四〇〇条但書により更に判決する。

(罪となるべき事実)

原判示第一、第二認定事実のほか、

被告人内藤保、同河井逸夫、同出口清次はいずれも大阪電気精器株式会社(現在は松下精工株式会社)の従業員の一部をもつて組織する大阪電気精器労働組合の組合員として右会社と同組合との間に発生した労働争議に参加したものであるが、会社から組合に対し就業時間内社内示威行進を行つた組合員に対しては賃金カツトをする旨の通告を受けたので、被告人らを含む組合員約八〇名で、昭和三四年一〇月二〇日午後三時二〇分ころから、同会社事務所東側通路で鉄芯工場長三谷洋海外三名を取り囲み、同人らに対して同人らの組合員に対する就業時間内示威行進参加のための不就労時間の認定は不当であるから賃金カツトを撤回せよと集団抗議していたところ、午後四時前ころに至つて松下電器産業株式会社が借り受けて同会社扇風機事業部長室として使用していた右事務所二階の一室から、右扇風機事業部総務課長松田直夫が右集団抗議の状況を写真撮影したのを発見し、被告人内藤、同河井、同出口は、組合員約一七名と意思を通じて右松田から写真のフイルムを交付させる目的で、直ちに右事業部次長室になだれ込み、殺気だつた語調で口口に「写真を撮つたのは誰か」「カメラを出せ」「どこへ隠した」などと怒鳴り、罵声と怒号の喧騒のうちにあつて右松田課長が写真撮影者であることが判明するや、同人に対し「写真機を出せ」「どこへ隠した」「何をしやがる」「やつつけろ」「承知せんぞ」「どない思うとるんや」などと口汚く怒号し、被告人出口は机の上にあつた算盤をふん上げ、机に上半身を乗り出して松田課長に対し「なんで写真をとつたんや」「労働者を売る気か」「殴つたろうか」と怒鳴つて殴りかかろうとし、更に被告人らを含む組合員が口口に大声で「フイルムを出せ」「早く出せ」「殴るぞ」と怒鳴り、その際被告人河井において右松田に対し「フイルムを早く出せ、一分以内に出せ、出さなければ身体の保障はせんぞ」と申し向けたうえ、被告人出口において「十数える間にだせ」と要求して他の組合員とともに「一つ、二つ、三つ」と数を数えるなどして右松田を脅迫し、よつて同人から前記集団抗議状況を撮影したフイルム一巻を写真機より取り出させて同河井に交付させて、右松田に義務なきことを行なわせたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

被告人内藤保、同河井逸夫、同出口清次の暴力行為等処罰に関する法律違反の点は同法律第一条第一項(刑法第二〇八条)、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第二号に(懲役刑選択)、強要の点は刑法第二二三条第一項、第六〇条に、被告人出口清次の傷害の点は刑法第二〇四条、第六〇条、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第一号に(懲役刑選択)各該当するが、以上はそれぞれ刑法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条本文、第一〇条により被告人出口については傷害罪の刑に、被告人内藤、同河井については強要罪の刑に、それぞれ法定の加重をしたうえで被告人内藤、同河井、同出口に対し主文第二項掲記の各刑を量定処断すべきものとし、刑法第二五条第一項により被告人内藤、同河井、同出口に対しては、本裁判確定の日からいずれも一年間右各刑の執行を猶予することとし、訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条を適用して主文末項記載のとおり各被告人らに負担させることとする。

なお本件公訴事実中被告人らに対する住居侵入の点は前段説示の理由により罪にならないところ、右住居侵入と強要とは一罪と同視するほどの密接な関係がないから牽連とは認めがたいので、同法第三三六条により住居侵入の点につき無罪の言渡しをすべきものとし主文のとおり判決する。

(裁判官 山崎薫 竹沢喜代治 浅野芳朗)

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